[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
始まりがあれば終わりもあるのは、
25年生きていればよく知っている現実です。
「祭りのあと」
という桑田佳祐さんの歌が好きなのは、
そのタイトルの持つ意味に、私なりの浅い経験で、深い感情が読み取れるから。
私がF1を好きになったのは、今から15年前。
その頃はドライバーやチームやタイヤのことなんて全然分からず、
ただただ
あの直線を走る高いエンジン音、
ピットストップでのメカニックたちの無駄のない動き、
洗練されたカーボディーとそのスピードが
何の理由もなく大好きでした。
気がつけば、いつの間にかフェラーリというゆるぎないチームを応援し、
いつも目線はそのファーストドライバー、ミハエル・シューマッハを追っていたように思う。
彼の走りの美しさと、垣間見える深い人柄が、あこがれの理由だった。
彼の乗るフェラーリが決勝コースを走る姿は、近年のF1というスポーツの試合では、当たり前の光景だった。
アイルトン・セナが活躍した時代はもちろん面白かったけれど、ミハエル・シューマッハが走ったこの11年も、彼の存在のおかげで、本当にF1は面白いスポーツだったと思う。
・・・・気付いてはいたんですよ。
2年くらい前から、
もうそろそろなのかなって。
だから、ミカ・ハッキネンが引退した数年前に感じたショックよりも、今回の感情は小さいものでした。
ああ、ついに来たか、と。
ミハエル・シューマッハがいないF1。
それが来シーズンからずっと続いていく。
大きな穴が空いたように感じる。
キミ・ライコネンというルーキーが出た時、
「この人、めっちゃ速いんやないかな。将来、すごいことになるんやないかな」という予感があって、彼を追いかけて数年。
「ポストハッキネン」かなぁ、なんて思い、強いチームに行くことを願い、シューマッハとのバトルをずっと見ていたいと思っていました。
ライコネンは、強いチームに行きましたね。
赤い皇帝のシートに、彼が座るんですね。
空いた穴を埋める役目は、楽ではないだろうけど、
F1デビュー当初からファンな彼に、期待したいと思います。
大好きだった、赤い皇帝。
私がF1に惹かれる理由は、彼の存在もあったのかもしれない。
インタビューの時、彼よりも涙ぐんでいたチームメンバーたちを見て、
また彼をかっこいいと思ったのでした。
お疲れさまでした、
ありがとうございました。
ポジションは変わるけれど、フェラーリの一員として、これからも活躍する彼の姿を見ていたいと思います。
関連記事[444988.gif]