さだまさしさんが
TVでおっしゃっていたこと
「今、大学で
お笑いクラブはできても、
落研が名門でさえゼロだったりするのは、
日本語が使えない人が増えたから」
日本語を使った
「話芸」が
伝わらない時代になったそうです。
落語は難しいものではないし、
笑いどころは
日々はびこっているそこらへんのお笑いと
種類もポイントも
何も変わらないっていうのに。
小学生の頃、
『東海道中膝栗毛』を読んで
私が受けた衝撃は、
『昔の人も、
今の人と同じポイントで笑って
同じこの笑いを
笑いとして扱っていたんだ』
という事実。
なのになぜ、
お笑いが好きな人たちは
落語は「理解できない」と言うのか
ずっと不思議だったんですが
そういうことかと
分かりました。
言葉や、
その言葉の行間が示すものではないもので笑っている
お笑いが好きだと言う人が
多いのかしら。
それはそれで一つの
「笑い」かもしれませんが、
それだけしか理解できない人が
もし増えたのだとしたら、
それはちょっと悲しいことかもしれません。
世の中には
辛いこととか
悲しいこととか
そっちのほうが
本当は多いんだと思うんです。
でもその中で、
それをそれとせず
その中から「笑い」のポイントを引っ張り出して
そして
笑って
楽しく生きようとする、
それが、
笑いがあるべき姿なんじゃないかなって
私は思っています。
だけど、
本当は
そこここに落ちているはずの様々な笑いを
片っ端から拾う力が
なくなった人が増えているなら
なんか
もったいないなぁと
思います。
笑うポイントがいっぱいあるのに、
それに気づかず、
見逃して「笑わない」なんて。
自分の人生の中で、
「笑ったなぁ」って瞬間が、
一つ減ってしまうということ。
私は
もったいないなぁと思います。
何年か前に
「声に出して読みたい日本語」って本が流行りましたね。
それにもあるように
日本語って、
とてもテンポがよくて
耳になじみやすい言葉。
さらには
行間に隠れた意味を
とても上手に表現する
面白い言葉でもあると私は思います。
もし
言葉の魔術師シェイクスピアが
日本語を操れたとしたら
どんな
『ロミオとジュリエット』が
生まれたでしょうか。
日本語力をつけること。
それは、
死ぬときに
「楽しい人生だった」と
思い出せることが増えるということ。
私は
そういう人生でありたいと
思います。
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