子どもの頃、
大人は
「大人」という生き物で、
自分とは違う生物だと
思っていました。
親は
「親」という生き物だし、
先生は
「先生」という
生き物であると。
自分の中の
それらのイメージは絶対的であって、
少しも揺らいではいけないものでした。
でも、
現実は
違っていました。
どんなに小さな子どもだって、
明日の行く末に悩んでいるし、
どんなに「生きること」のベテランになったって、
それに慣れることはないと。
むしろ、
選択肢が増えることで、
迷いは増えるものだと。
それに気づいたのは、
自分にはなれないと思っていた、
「小学校高学年」という生き物に、
なった頃くらいか。
新しいランドセルを背負い、
必死に自分についてくる「子ども」に
あの頃の自分を見た時。
大概の人は、
遅くても
そのくらいには気づくだろう。
前に差し出す指先を落とす場所を
こんなにためらうのは、
自分だけではないこと。
でも、
多分それに
気づかないまま、
言葉とか
地位とか
その辺を得た大人もきっといるわけで
そんな人たちが、
自分とは違うと思う
生物を
自分と同じと気づかないから
攻撃する。
『先生は、「先生」だし、大人だから、平気でしょ?』
バカな子どもは
そう思っている。
『先生は「先生」だから、こうあるべきじゃないの』
バカな大人も
そう思っている。
傷つくときは、
傷つくし、
辛いことは、
辛いのに。
そんな当たり前のこと、
それを知らない
人がいる。
チーズが嫌いだからと
給食に入っていた小さなチーズを
必死に皿の横に寄せていた担任を見て、
先生は、
人間だと思った。
私と同じカテゴリーにいるのだ、と。
その瞬間の衝撃を、
私は今も覚えている。
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